とうえい
職場の同僚に昔の自分をかさねる。
体調が悪いのではなく、誰かにかわいそうだねとか、同情されたいとき、具合の悪いふりをする。
悲劇のヒロイン症候群。
いわゆる、依存だ。
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/11960/meaning
そして、そのとき、人は人の弱さと共にずるさも知る。自分のコントロールできる相手を意識的なのか、無意識なのか、上手に選択して、渡り歩く。
依存された相手は、ボロボロになるまで役割を演じる。これも意識的か無意識なのかわからない。
わたしは、多分、そうやって依存される側を生きてきた。そうすることで、同情をひきたいと思ってきたのかもしれないし、かわいそうな自分を演じたいのかもしれない。そして、究極は、私がこの人を変えられる、私がいなければこの人はダメになると言う思い込み。
依存する側は、それを計算し尽くしたかのような行動をとる。それが今の役割放棄した夫だ。
ひとつだけ言えるのは、わたしが誰かを変えられるとすれば、私自身。相手のことは、変えられない。
感化したりすることはできるかもしれないが、それは本人が変わろうと意識的か、無意識的か、思ったときだけだ。
誰かを変えようなんて、それは、自分の自己満足であり、奢りでしかない。
それを知っていても私は、何とかしようとしたいときがある。それは、きっと過去の自分を相手に投影し、自分を生まれ変わらせたいとき。
わたしは、わたしをそうやって生き続けるのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。